5『口の利けない少女』



 ある世界では深刻なデフレが進行している。
 生き残りを賭けた価格争いの産物だ。

 店によって値段が違うのは常識だ。

 何故値段が違うのか。
 質を落として薄利多売、質を高めてそのままの価格で。
 経営方針、仕入れの方法など、様々な要素が入って来る。

 そして、広い世界にはこんなところもあってもおかしくない。



 ファルガールがマーシアと再会しているその頃、もらった金を使ってやろうとファトルエルの街でのある店に入ったリクは言葉を失っていた。
 その視線は店のあちこちに巡らされていたが、その先はどれも品物の値段だった。

 高い。余りにも高い。

 リクは今までファルガールと旅をしてきて数々のぼったくり商店を見てきた経験がある。
 中にはひどい店があり、普通の二倍の値で売っており、本当にこれで騙されて買うやつがいるのか、と思わず疑ったものだ。
 それらの全てが霞み、可愛く見える。
 普通の値段の、どう見積もっても五倍だ。

「おやじ、これ桁間違えてねーか?」
「全然」と、素っ気無く答えたこの店の店主はカウンターの奥で、やる気無さそうに本を読んでいる。

「ちょっと値下げする気、ない?」
「無い」

 即答。しかも本から目を放していない。

「じゃあ、他の店行って買うぞ。いいんだな?」
「………」

 今度は答えさえない。リクは頭に来て、本当にその店を飛び出して行った。と、思ったら、すぐにまた入ってきた。
 彼は真直ぐカウンターへ早足で歩み寄ると、そこに腕を立て、身を乗り出して店主に言った。

「おい、あんた商人だろ。商売根性ってモンはねーのか!?」
「全然」

 またも素っ気無い即答。
 しかし答えた後、店主は読んでいる本にしおりを挟み、ため息を尽きながらリクの方を見た。

「あんた、この町は初めてなんだな」
「ん? ああ」
「サービスだ。他の店探して無駄足踏まないように、この町での商人のルールを教えておいてやる」
「商人のルール?」
「大きく二つだ」と、店主は二本指を立てた腕をぐいっとリクの方に突き出した。「一つ、値は絶対に下げない。一つ、他の店と同じ品物を置かない。」
「そりゃまたどうして?」

 質問を重ねるリクに、店主は大きなため息をついた。
 さっきまで本から目を放さず、応対していた程の面倒臭がりだ。
 このサービスだって、実はさっさと品を売ってリクを追っ払いたい一心でやった事、それが裏目に出たのだから、このため息はとてつもない負の感情が込められていた。

「値段が高いからだ。他の店が同じ物を売るようになって、競争になったら、商売にならないくらい安くなる。値段は高いがこれが最低限の値段なんだよ」
「じゃ、なんで値段を高くしなきゃいけねーんだ?」
「たくさんの人間の手を渡ってるからだよ。最低でも最寄りの町で仕入れる奴、砂漠の途中まで運ぶ奴、それを受け継いでここまで運んでくる奴、この街で売る奴。全部で四人いるんだ。しかもこの町人は元々少ない。売り上げで生活しようと思ったらここまで高くしなくちゃならないんだ」
「なる程なぁ……」

 ようやく全てに納得し終えた様子を見せるリクに店主は疲れからのため息を付いた。
 そこにリクが追い討ちを駆けるように話し掛けた。

「でもこの話って、高く売る為の方便じゃないよな?」

 店主がとうとうキレた。

「なんで俺がそんなすぐバレそうなウソをつかなきゃならんのだっ! 疑うなら他の店で調べて出直してきやがれ! それが嫌なら品物買って、とっとと失せろ!」

 店主の剣幕に押されたリクは、慌てて店を飛び出した。


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「……短気な店員だな。さすがファトルエル。店一つとってもマトモじゃねーや」と、大通りに出たリクは店を振り返ってぼやいた。
 そして空を仰ぐ。

(まだ明るいな……。まあいい、大通りをぶらぶらしてりゃ時間も経つだろうし、早めに着いちまっても何か食いながら待とう。腹減ったし)

 くどいようだが、大通りは人通りが多い。歩きながら周りを観察してみるとなかなか面白い。
 品物を値切ろうと声を張り上げて粘っている人間、母親相手にねだっている子供、さっき見たものとは違う、観客のいない、レベルの低い決闘。
 決闘大会に備えてだろうか、やたら大きな剣を買い込んで持ち上げられず、引きずっている戦士風の男。
 決闘に負けたのかサソリにさされたのか、担架に乗せられて診療所に運び込まれる者。

(ただでさえ物価高いんだから、あの人後でとんでもない額を請求されるんだろうな)

 彼が請求書を見た途端に、実際怪我をした時とは比べ物にならないほどの叫び声をあげる事は想像に難くない。

 血の気の多い街らしく、もう一つ担架に乗せられた男がこちらに向かってくる。
 ただしこちらは少し様子が違った。
 担架の上の男は縛り付けられており、唯一動く首をもげそうなくらい大きく激しく振り動かしながら絶叫している。

「止めろぉ…! 治療するのは止めてくれぇ…! 死んでもいいから、な? 頼むよぉ……今月苦しいんだよぉ…! この街で借金したらお終いなんだぁ……!」

 だが、そんな事はお構い無しに、担架は診療所に運ばれて行く。
 彼の懇願する声は中に入っても聞こえてきた。
 その哀れみを誘う声を聞いてリクは死んでもこの街で怪我はすまい、と決意した。

 カップルの姿も頻繁に見かけた。
 先ず見かけたのはこの街のタダでさえ高い物価の中で、更に高そうな物を男に貢がせている女。
 今まで買ったであろう、その荷物は両手では抱えきれないくらいに多くなっている。
 肉体的、精神的、そして何よりも経済的にげっそりしている男に向かって女は言う。

「このくらいで何よ! 私は大通りの店を全部制覇したいのよ!」

(この大通りの店を全部……!?)
 リクは彼等の向かう方向を振り返ってみたが、ここからではまだゴールは見えない。
 今、あの男の目にはこの大通りが果てしなき道のように思えている事だろう。

 また、人に囲まれて見物されているカップルもいた。
 カップルで揃って大道芸でもやっているのかと思いきや、カップルでの決闘だった。
 しかも女はローリングソバットやかかと落とし等、華麗な技を男に決め、拍手喝采を浴びている。

(どーもさっきから女が強いカップルしか見ねーな。男の強いカップルはいないのか?)

 男は本質的にあまり買い物を好まない為か、男の強いカップルは商店街の大通りには出てこない。
 そのかわり、互角、というか男と女が対等の立場にあるカップルならいた。
 だが、リクはその類いのカップルは一瞬見かけるとほとんど観察せずに、他に目を移した。何となく腹立たしい上、喧嘩が大っぴらに行われるオープンな街の雰囲気が反映してか、公衆の面前で抱き合ったり、キスしたりしているバカップルもよく見かけるからだ。

 まだカップルではない者達もいた。つまり、出会いを求めている者達である。
 愛想笑いを浮かべながら同族の臭いがする女性に近付き、声を掛ける。
 彼女達はわざとらしくもじもじしながら友達とどうしようか答えの決まっている話し合いをする。
 リクはまだ異性というものをあまり特別に意識した事がないため、彼等の気持ちをあまり理解できない。
 また、あまり乗り気でない女性に声を掛ける男もいた。
 相手は、なるほど、小柄で真直ぐ腰まで伸びる黒髪に、それとは対照的な雪のように白い肌を持つ、同族の臭いがしなくても話し掛けたくなっても仕様がない可憐な美少女だ。

 何度もしつこく声を掛けているようだが、少女は無表情のまま何も答えようとしない。それでもめげずに男は話し掛けた。
 どういう訳か、彼女はいやがる素振りも見せず、かといって、その男に着いて行こうと考えている雰囲気は微塵もない。

(断るにしろ、ついてくにしろ黙ってるのはあまり得策じゃねーな。そのまま無視し続けてるとあの男、そのうちキレるぞ)

 リクの懸念は割とすぐに当たった。
 男は形相を変え、壁際に立っている少女の顔のすぐ横に乱暴に手をついて、悪態をつきはじめた。
 そして、彼女の顎に手を掛けようとした瞬間、彼は蹴り飛ばされた。

「口説くのは押しが肝心ってのはよく聞くが、てめーは押し過ぎなんだよ。たまには退くのも大事なんだぞ」

 蹴り飛ばしたリクが呆気無く気を失ってしまった男にびしっと指をさして言う。
 くるりと女の子を振り返ると、女の子は突然現れたリクを見ていたらしく、振り返った瞬間にその深い藍色の目と合った。
 その目を見た時、リクは何故か、この娘はあまり幸せそうではないな、と感じた。

「大丈夫、だよな?」
「………」

 女の子は答えない。だがこくりとうなずく。

「あんたビビってなかったから、多分放っといても大丈夫だろーと思ったんだけど、つい手が出ちまった」
「………」
「それとな、あんた美人なんだから、あんまり一人でうろついてるのは感心しねーな。ここにゃ、女に飢えた野郎がうようよいやがるからな」
「………」
「お、俺は違うよ。確かに女は男よりも好きだが、口説きたくなる程じゃねーし」
「………」

 リクは首をかしげた。ここまで喋ってれば、何か返事くらい返ってきそうなものだが。それに、さっきの口説かれていた時だって、ずっと黙っていた。
 そして彼は不意に思い当たった。

「……あんた、ひょっとして喋れねーのか?」

 女の子はこくりと頷いた。イエスと言いたいのか。

「なる程。連れはいるのか?」

 また頷いた。イエス。

「場所は分かるか?」

 こくり、イエス。

「じゃ、そいつのとこまで送ってやるよ。一人じゃ何かと不便だろ」

 こくん、と今度も頷いたが、イエスの時の頷き方と微妙に違う。
 ありがとうとでも言いたいのか。言葉にはしないし、表情にほとんど感情は出てこないが、根は素直らしい。
 そして彼女は方角を指差して歩き出した。

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